前回の更新から三ヶ月以上経ってしまった。この文章を待っていてくださる方々から病気でもしたのかとメールをいただき恐縮している。書く事はありすぎるくらいだったが、何か落ち着かなかった。それはシュナイトの本当の最終公演になるシュナイト・バッハ合唱団のロ短調ミサ公演がまだ残っていたからだった。しかしそれも無事に終了し、今日マエストロはドイツに帰国した。
ハンス=マルティン・シュナイトとは何だったのだろうか。
これは断言できるのだが、シュナイトは戦後最高の指揮者のひとりだった。バロックから交響曲、合唱、オペラまでの幅広い教養。現代作曲家としても高く評価された才能。チェンバロ、ピアノ、オルガンの名手として一世を風靡した演奏家としての実力。チャンスさえあればオールマイティな指揮者としてもっと華やかなスポットライトを浴びても良いはずだった。しかし彼自身の複雑な性格と、英語がほとんど話せないことなどのせいで、国際的な活躍の場を獲得することができなかった。本人は「スターになる気なんて毛頭なかった」と私に言っていたが、それは怪しいと思う。
加えて、あのリハーサルのスタイルは現代の楽団には受け入れられるものではない。マエストロがいわゆるキレた状態になって楽員やソリストを血祭りにする様は、とても見ていられるものではなかった。リハーサルが終われば当人はケロッとしていて笑っているのだが、言われた方は一生忘れないだろう。「オケで弾くのは今日が初めてか?」とかみんなの前で言われるのだから。本番中に楽員を威嚇することも頻繁だった。
しかし、そのリハも本番も、もう体験することができない。ハンス=マルティン・シュナイトとは何だったのかは、これからゆっくり考えていくことにしよう。数々の名演を思い出しながら。
シュナイト・バッハ合唱団のロ短調ミサは最終公演にふさわしい立派なものだった。とくに最後のコラールはシュナイト・バッハの底力を表したものだと感心した。しかし演奏全体としては異常に遅いキリエをはじめ全体的にバランスを欠いたテンポ設定で、それは指揮者としての勘が鈍ってきていることを表していた。私にとっての指揮者シュナイトは神奈川フィルとの音楽堂で終わってしまったので、ロ短調ミサのコンサートは聴いても聴かなくても良かったのだが(シュナイトに関してそんなことを思ったのは初めてだ)、聴いてみてやはりマエストロはあの時「燃え尽きた」のだなと納得した。
コンサート翌日、私はシュナイトを連れて平松英子たちとともに巣鴨の丸八寿司に行った。そこは彼が長年通った店で家族同然の付き合いだったが、たぶん最後の別れになる。居合わせた常連たちに囲まれてマエストロは終始ご機嫌だった。帰り際、出口でご主人や女将さんたちと別れを惜しんでいたシュナイトだったが、店を一歩出た途端、彼は見送る人たちを振り返ることなく歩き出した。私はその横を歩きながら、老指揮者らしい潔さを見た。それは落ち着いた、多くの出会いと別れを知った横顔だった。