以前からなんとなく気になっていた事だが、たまたま国会中継を見ていて確信を持った。それは4月26日の衆議院予算委員会でみんなの党の江田憲司議員が「増税は必要なし」と追求していた場面であったが、菅直人首相も野田佳彦財務大臣もコテンパンなのであった。江田議員の質問に答えられないのではなく、答えてはいるのだが「官僚の言いなりになっていて思考停止している」と非難されるばかりで防戦一方なのだ。この中継をテレビで見ていた国民は誰でも「菅首相と野田大臣の完敗」だと思ったろう。
しかし、これは妙な話だ。こうした委員会の質問は前日までに「通告」があるので、準備の時間がないわけではない。江田議員の質問内容と攻めてくるポイントも予想が付く。あとは揚げ足を取られないような答弁となるよう知恵を使えばいいのだから。なのにそれができていない。
菅首相は答弁も会見もおしなべて日本語が貧弱だ。震災以来「全力をあげて」の連発だし、批判されれば「必ずしも…でない」としか言えない。「場当たり的だ」と言われた時の反論は「決して場当たり的な対応はしていない」。論理的な説得力がまるでない。
似たようなことは大臣や政務官たちの答弁にも言える。細野豪志首相補佐官は、原子力委員会専門委員の青山繁晴氏が原発敷地内に入った件について「政府としてではなく、個人として入った。今後はないようにする」と会見で話したが、これは最低な物言いだ。権力的で居丈高で、聞いた人に良い印象を全く与えない。私が秘書だったらあんな発言はさせない。
なぜこんなことが起きているのか。それは秘書官や秘書たちがサボタージュをしているか、大臣との連繋がスムーズでないからなのだ。そして担当官僚たちのブリーフィングもきっと手抜きに違いない。つまり彼らは味方であるべきスタッフたちから嫌われていて、そのしっぺ返しをテレビの前で食らっているのだ。それに気づいているかどうか知らないが。
永田町にいると裸の王様になりがちだ。最初は秘書たちのおかげで仕事ができているのだと思い、周囲のアドヴァイスにも謙虚に耳を傾けていても、時間が経てばだんだんうるさがるようになる。だからそのうち秘書たちも余計なことを言わなくなる。自分たちの議員がテレビで赤っ恥をかいていても「あーあ、しょうがねえなあ」と笑うようになる。
「熟議の国会」とかいっても一度も熟議の場面を見たことも聞いたこともない。震災や原発事故における対応の不手際にも真摯な反省を見せない。そんな内閣になってしまったのも、そういった貧しい資質を持つ大臣たちが集まっているからに他ならないからなのだが、その裏には秘書たちの叛乱も隠れている。
これは茶番だ。大震災や原発事故という悲劇を弄ぶ、最低の茶番だ。