随分長い間ブログをまともに更新できずにいた。去年の9月から今年の5月まで民主党衆議院議員の私設秘書として毎日議員会館に通っていたので書く材料自体はたくさんあり、また読者の友人たちからも書け書けと催促され続けたのだが、関係者に迷惑がかかってはと思いそのままでいたのだ。しかし私が辞めた後首相も変わり、私が娑婆に戻った後のいわば立ち位置も定まってきたので、政治の話題も含め少しずつ書き始めようと思う。
私がこの世界に関わるようになったのは去年の衆議院選挙からで、それは選挙活動の準備期間であった3月にまで遡る。小沢一郎の紹介で候補者としてマスコミの前に登場した候補者の広報担当スタッフとしてボランティアで参加したのである。自民党現職候補が強い選挙区であったが、ご存じの通りあの時は民主党への追い風が吹いた選挙であり、なんとか当選を果たすことができた。
あの時は政権交代さえ果たせれば世の中は良くなる、というムード一色に染まったし、私自身戦後60年続いた体制をひっくり返したことに関われたことに喜びを感じていた。しかし選挙期間中に多くの人に配られたマニフェストの内容には一抹の不安を覚えていた。その内容だけでなく文章表現が楽観的すぎると感じたのである。もちろん選挙は一種の喧嘩であるから表現に甘さがあってはならないだろうが、その喧嘩が終わった後に揚げ足をとられることにならないかと恐れたのである。
その予感は残念ながら的中した。財源の問題で早速行き詰まっただけでなく、さほど重要視されていなかった普天間問題で首相が退陣することになり、新たに消費税論議までわき起こることになるとまでは想像だにできなかったが。これらの問題に共通して言えるのは宣伝力の不足だ。(コミュニケーション力、と言ってもいいが、本来戦争用語である「宣伝」のほうがふさわしい) 財源の問題で苦労するのは実は初めからわかっていたはずだ。それならしっかりと「時間をかけて財源を確保する」とか「一時は財源不足になり国債に頼るかも知れないが景気回復が先行課題だ」と言っておけばよかった。普天間問題は鳩山由紀夫前総理の言葉の一貫性のなさが原因だ。消費税の問題は口に出さなければ良かっただけの話だ。そういった「何をどう発信し、何を発信しないか」がコントロールできていないが故にこれらの問題は再度政権をゆるがしかねないものに拡大した。そしてその「コントロールする力」と「知性」は同義語なのだ。
去年の選挙期間中、応援に駆けつけてくれた鳩山氏がSPよりも先に混雑する商店街の人混みをかき分けて握手して回った姿に私は感動した。その経験があるので、鳩山氏に対するバッシングが厳しくなった時期も個人的にはなかなか同調できずにいたのだが、それにしても普天間問題はかえすがえすも残念であった。 - この項つづく -