昨日は指揮者ハンス=マルティン・シュナイトの荷物の運び込みを神奈川フィルの佐藤健氏と行った。シュナイト(いつもは先生、と呼んでいるが、カラヤン、ベームなどと同じ敬意とともに呼び捨てにさせていただく)は神奈川フィルの音楽監督を去年から務めているが、年間で指揮台に立つ回数はそれほど多くない。よって年に数回来日し、その度に横浜の某ホテルに長期滞在することになるが、スコアを含めそれなりに荷物があるので、それらは神奈川フィルの事務局が預かっているのである。そしてそのシュナイトが一昨日再来日したのである。あいにく出払っていたオーケストラのスタッフの代わりにせっせと働く事務局次長と私を眺めながらシュナイトは子供のように笑っていた。
シュナイトは紛れもなく世界最高の指揮者の一人である。しかし日本での知名度も、そして悲しいことにヨーロッパでの「現在の」知名度も決して高いとはいえない。とくに日本ではマスコミに頻繁に登場する音楽家だけが「有名だ」ということで評価されるので、シュナイトはほとんど知られていない。ただその実演に触れたことのある横浜地域周辺の聴衆に熱狂的に支持されているだけである。運び入れた十数箱のダンボール箱のほとんどはシュナイトが長年使用していた総譜だ。その一頁一頁には太鉛筆で細かな書き込みがされている。ヨーロッパでも絶滅の危機にあるドイツ音楽の古き良き伝統を背負った巨匠がこの膨大な総譜とともに遊園地を見下ろす横浜のホテルの一室に佇んでいるということは、ひとつの奇跡だ。外は天気がいい。
シュナイトと私はさまざまな因縁もあり関わりが深いので、これから何度も書くことになるだろう。今回はご存じない方のためにシュナイトの経歴を紹介するにとどめる。
ハンス=マルティン・シュナイト (神奈川フィルハーモニー管弦楽団・音楽監督)
1930年ドイツのキッツィンゲン・アム・マイン生まれ。10歳の時ライプツィヒ・聖トーマス教会合唱団に入団。ミュンヘン音楽大学で指揮・作曲・オルガン・音楽学を学ぶ。1954年ミュンヘン市よりリヒャルト・シュトラウス賞を受賞。1955年、25才でベルリン教会音楽学校長に就任。ベルリン・バッハ・コレギウム、カイザー・ヴィルヘルム記念協会バッハ合唱団を設立、指導に当たる。1960年ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団を指揮。1963年ベルリン芸術院賞を受賞。同年ヴッバタール市立劇場音楽総監督に就任。1971年ハンブルク音楽大学教授に就任。1984年急逝したカール・リヒターの後任としてミュンヘン・バッハ合唱団・管弦楽団の芸術監督に就任するとともに、バイエルン国立歌劇場常任指揮者に就任、ベルリン国立歌劇場、ベルリン・ドイツ・オペラなどでも活躍。1990年ベルリン国立歌劇場日本公演に同行、東京文化会館でモーツァルト「魔笛」を指揮。1997年東京フィルハーモニー交響楽団の協力のもとに設立されたシュナイト・バッハ合唱団の芸術監督に就任。1995年、国立ドイツ・ユースオーケストラ(DMO)を設立し音楽監督に就任。1998年10月、ベルリン市より特別賞を受賞。2001年4月13日ミュンヘン・ガスタイクにおいてJ.S.バッハ合唱団・管弦楽団の名誉指揮者に就任。2005年にはジャパンユースフィルハーモニック名誉指揮者に就任。