北京オリンピックでの日本選手の駄目さ加減には多くの人々が驚いたわけだが、どう駄目なのかを整理してみた。すると以下のようになる。
①本番に弱い
練習の時は良かったのだが、本番で実力が出せない。これは音楽でも同じで、本当は実力があるのにステージで緊張する性格のために演奏家になろうとしない人たちをたくさん知っている。しかしスポーツ選手はそれでも試合に出ようとするのでタチが悪い。
②失敗しても満足をしている
「結果は悪かったが出来るだけのことをやったので後悔はしていない」などと平気でのたまう。これも「ゆとり教育」の成果なのだろうか。悔しいとか恥ずかしいという感情が欠落している。演奏家は普通こんなことは言わない。だって次のコンサートに客が来なくなるだけだから。
③何かのせいにする
練習時間とか合宿場所だと、審判だとか、いろんなせいにする。競争相手も同じ条件なのに。音楽コンクールでこんなことを言ったら笑われる。
④無策を気合いで乗り切ろうとする
それで失敗する。家で弾けてない曲をステージで弾こうとするピアニストはいない。相手チームの分析が足りないまま試合に臨むのは、譜面をよく読まないまま演奏するようなもので、こんな演奏家もいない。
一番がっかりしたのは野球チームだった。試合内容のレベルの低さと、「金メダルしかいらない」と言って手ぶらで帰ってきた某監督の見苦しい言い訳の数々に、心底あきれた。「すべて私の責任」と言って一見男らしく振る舞っているふりをするところがまた小賢しい。これが指揮者だったらクビになって二度と呼ばれないので明解だが、その人はWBCの監督就任にも意欲的のようで、ひょっとしたらまた出てくるかも知れないという。元野球少年としては、そうならないことを切に祈る。
こう比べてみたら我々が住むクラシック音楽の世界がとてもクリーンなところに思えてきた。
いや、そんなこともないか。