先日、シュナイトを久しぶりに巣鴨に連れて行った。ドイツ人の巨匠と巣鴨とは妙な組み合わせのようだが、2007年の3月まで芸大の客員教授を務めていたシュナイトにとって外人教授用の官舎がある巣鴨は6年もの間住み慣れた街なのだった。芸大を辞めて以来ほとんど初めての巣鴨行きとなったシュナイトは、約束の時間の11時よりもはるかに早くホテルのロビーで私を待っていた。腰の具合が悪いマエストロを連れて行く手段は車しかないのだ。行き先は、丸八寿司とケーキのフレンチパウンドハウス、そしてケーキとコーヒーのカフェ・クラナッハの3軒だ。とくに丸八寿司には芸大時代ほとんど毎日通っており家族同然になっていたので、シュナイトはことのほか喜んだ。
丸八寿司の職人たちはとても仲の良い一族で構成されており、そこにシュナイトは「日本人の家族」の美徳を発見していた。そして一人一人の名前や関係、誕生月まで把握していた。もちろん、ときどき思い違いをもしていたが。最初の妻を癌で亡くし、長男も亡くしたシュナイトはとても家族を大切にしている。
そんなシュナイトだが、「ピース」が嫌いだ。店をハシゴしながら記念写真を撮って回ったのだが、ある店員がシュナイトの横でピースサインをしてポーズをとると「それは好きじゃないからやめろ」と制した。それはいつものことなのだが、シュナイトの前でピースサインは御法度なのだ。「平和」とはそんな安っぽいものだはない、というのがマエストロの意見だ。ミサ曲を歌う時にはいつも合唱団に「いまこの瞬間に苦しんでいる人たちのことを思え。イラクの人たちのことを思え。ヒロシマの人たちを思い出せ」と言う。自分たちが平和な国の中でのんびり音楽をしている時にどこかの国で誰かが苦しんでいる、そのことを音楽家はいつも忘れてはいけない、とシュナイトは言う。
だからシュナイトは「アメリカ」も大嫌いだ。子供の頃、初めて西部劇映画を見て「インディアンは何も悪いことをしていないのに一方的に殺されて可哀想だ」と思ったという。なんたる慧眼。そしていつかアメリカに仕返しをしてやろうと、何年もの間、毎日少しずつコインを缶の中に貯め続けたという。いかにも「博愛の人」シュナイトらしいエピソードに私が笑うと「その考えは今でも変わってないけどね」とマエストロは悪戯っぽく笑い返すのだった。