デムスが私の前に現れたのは突然だった。うちのスタジオ(渋谷ステュディオというリハーサルスタジオ)を使っていま公開レッスンをしているのはデムスのようです、とスタジオから帰ってきたアシスタントが息せき切って私に話してくれたのはもう十年も前の秋の夜だ。驚いた私がレッスンが終わる頃にスタジオに入り「あなたはあのマエストロ・デムスですか」と聞くと、デムスはピアノの前に座ったまま「私を知っているのか」と特段喜ぶ風でもなく答える。「はい、あなたのシューベルトやドビュッシーの演奏、フィッシャー=ディスカウの伴奏、いろいろレコードを持っています」と私がいうと「お前はレコードプロデューサーなら、私と何を録りたいと思う?」といきなり訊く。私がとっさに「シューベルトの『楽興の時』」と答えると、そのまま『楽興の時』を全曲私のために弾いてくれた。それからデムスとはのっぴきならぬ関係が始まるわけだが、私にとってクラシック音楽の師匠はシュナイトとこのデムスだ。
デムスとの長い付き合いの中で教わったことは山ほどあるので、今後思い出す度に書き綴っていくつもりだが、「これだけは絶対に真似できない」と思うのは、デムスの音楽に対しての打ち込み様である。どれほど打ち込んでいるか、というと、つまり「音楽しかない」のである。「私には音楽しかない」「音楽は私の人生そのもの」などと言う音楽家は山ほどいるが、デムスと比べればそれらは「音楽を通してリッチで楽しい人生を送りたい」と企んでる人でしかない。私だってそうだ。しかしデムスは正真正銘音楽のことしか興味がなく、せいぜい稼いだギャラで次にどんなアンティークピアノを買おうか、ぐらいしか欲というものがない(デムスはザルツブルクの山とバリのシャトーに百数十台のオリジナル楽器のコレクションを保有している)。
貴族の家系に生まれながら、日本に滞在中はマクドナルドでも不平を言わないし、小田急線の乗り継ぎも知り尽くしている。八十歳を迎える今も一年中世界を旅し続け、スケジュール表をリサイタルかレッスンで真っ黒に埋めようと務める。日本の無知な批評家からは「過去の人」扱いされても一向に気にせず、どこへでも呼ばれたら弾きに行く。家族らしい家族もいないので、そういった団欒とは無縁だ。デムスを見ていると「自分よりも音楽を愛する人」という言葉が浮かんだ。ジョージ・セルの言葉だったか。うろ覚えなのだが。
「音楽に打ち込む」ということの厳しさ。その言葉の本当の凄さを気づかせてくれたのはデムスであり、デムスの音楽に取り憑かれた生き方を見ていると、芸術の神というものが本当にいるのだということが信じられるのである。