先年亡くなった彫刻家脇田愛二郎の縁でキューバの人たちと親しくなった私は、ハバナへ行って現地の音楽家たちといろいろな関わりを持つことができた。そのジャンルはジャズからクラシックまで様々なのだが、日本でキューバのクラシック演奏家の話をすると「キューバにクラシック音楽ってあるの?」という反応が多い。ついこのあいだまでは私も似たようなものだったので笑えないが、行けばびっくり、とても豊かな音楽環境がそこにはある。
コロンブスによる「発見」後続いた16世紀からのスペインの植民地時代にヨーロッパの音楽がどう伝わっていたのかは不勉強なのだが、キューバ革命後のクラシックの音楽家たちはソ連時代にモスクワ音楽院に留学することが多く、年配の演奏家はその頃の演奏スタイルを今でも身につけている。ハバナで聴いた国立交響楽団のチャイコフスキーの交響曲第4番は、ムラヴィンスキー時代のレニングラードフィルの響きがしたし、ピアノ教師の女性が自宅で弾いてくれたスクリャービンのソナタは、ホロヴィッツを思わせた。窓の外はとても天気がいいのに。
クラシック音楽の聴衆は多いとはいえないが、現代曲のコンサートもそれなりに人が入っているのは日本と違うところだ。最も尊敬されている現代作曲家はレオ・ブローウェルで、映画音楽もたくさん書いているせいかとても有名で、市内で何度も彼の肖像のポスターを見た。昼下がりに教会で開かれていた室内楽コンサートも現代曲だった。無伴奏の超絶技巧曲を吹いたフルーティストは割れんばかりの拍手喝采を受けていた。キューバ人演奏家のテクニックや音楽性は日本人のそれよりも全体的にレベルが高い。管楽器は威勢のいい演奏が多いが、弦楽器奏者は実にエレガントな演奏をする。日本人のようにガリガリ弾いたりしない。
アメリカの経済封鎖が続いているおかげでキューバは経済的に恵まれていないが、毎日のいろいろな局面で豊かさを感じることが多い。キューバに「ハマる」日本人が多いのはそのせいだが、クラシック音楽の世界で感じた豊かさも日本で味わったことがないものだ。先ほどの教会にもあたりまえのようにスタインウェイのフルコンサートモデルが置いてあった。近所の信号の電球は切れているままになっているのに。日本列島が真ん中に来ている世界地図を見慣れている我々はすぐ勘違いしてしまうが、キューバとヨーロッパはとても近く、クラシック音楽や芸術文化に対する姿勢に、ヨーロッパのどこかの国のひとつのような自然さがある。
中国や韓国の若手演奏家たちの国際的な活躍は目を見張るばかりだが、次はラテンアメリカの音楽家たちだと思う。ベネズエラ人の天才指揮者ドゥダメルの登場もその予兆のひとつだ。アメリカの対キューバ政策の転換があれば音楽の世界の勢力図は大きく書き換えられるだろう。