シュナイトの音楽監督として最後の公演となった定期演奏会が一昨日終わった。ファンの方々のブログを読ませてもらってもらったが、シュナイトが目指したものがしっかりと伝わっていることに感動した。これはシュナイトの持つ能力だけでなく、神奈川フィルの聴衆とのコラボレーションの結晶だ。つまり、東京の大きなオケでなく、東京から少しだけ距離を置いた小さなオケと約8年間コツコツと積み上げてきた関係を、横浜という独特な場所で聴衆がじっと見守っている、という奇跡的な環境がなければ決して生まれなかったことだろう。
シュナイトがいかに素晴らしい指揮者であるかということを知った当初は、もっとどんどん東京のオケを振って有名になって欲しいと思ったものだが、いまは東京でなくて良かったと思う。シュナイトの複雑な人間性はサクサクと仕事をしたがる東京のオケでは受け入れられなかっただろうし、なによりプローベで暴動が起きただろう(それに近いことは神奈川フィルじゃない時に起きたが)。もっともシュナイトにしてみれば、日本で振ること自体が極東の「地方」にいることになるわけで、東京のオケを一切認めていなかった。
以前NHKの「オーケストラの森」という番組に神奈川フィルが出た時のシュナイトのインタビューを見返していて発見したことがある。それは神奈川フィルとの仕事の抱負を訊かれた時「これがしたい、あれがしたい」というのではなく「オーケストラの指導には一貫性が大事だ」というようなことを語っており、シュナイトは普通の指揮者とオケの対等な関係として捉えていなかったということだ。シュナイトにしてみれば、自分の知っていることをこのオケにどれだけ伝えられるかという部分に賭けていたのだと思う。
一昨日の公演は大変な名演揃いだったが、合唱の音程には若干難があった。しかし舞台袖の私のところに戻ってきたシュナイトは、「ブラームスの音楽は本当に偉大だ」と感極まっていた。オケや合唱のどこがどう上手いとか拙いとかまるで眼中になく、ただ音楽と向き合う姿勢。それが「音楽家シュナイト」の本質なのだ。それを思うと我々の周りにはいかに皮相的な「演奏屋」が溢れていることか、本当に嘆かわしく思う。
シュナイトの音楽に触れることができるのは、これが最後ではない。札幌交響楽団との公演が今週末にあるし、神奈川フィルとも5月の音楽堂がある。そしてコーロ・ヌオーヴォとのヨハネ(5/9、文京シビック)、シュナイト・バッハのロ短調(9月?)も。お時間のある方はぜひ聴きに来ていただきたい。
この2週間で2公演続いたシュナイトは気力充分だが、やや疲れを見せ始めたので今週末の札幌行きに同行することにした。札幌の聴衆はどうシュナイトを受け止めるのだろうか。