秋葉原通り魔殺傷事件が起きた。被害者とそのご家族の無念さは想像するに余りある。犯人の男が決行前に書き込んだ携帯サイト掲示板の文章を読んだが、不細工で金もなく派遣仕事をしている自分を「負け組」と呼び自暴自棄になっており、あれを読んで気分が落ち込まない人はいないだろう。
「勝ち組、負け組」という言葉は今普通に使われているが、広告コピーで「勝ち組」という言葉を使ったのはたぶん私が一番最初だと思う。米国のサン・マイクロシステムズの新聞広告で「勝ち組になろう」とか「勝ち組の方程式」といったキャッチをシリーズで書いて日経新聞などにたびたび掲載された。ITバブルが始まる以前のことだ。その広告の影響があったはずはないが、いつのまにか「勝ち組の人」「人生の勝ち組」のような使われ方がされ、書籍のタイトルにもそのようなものが増えた。ビジネスに勝ち負けはあっても、人生に勝ち負けなどあるものか。どうせみんな死んでしまうのに、と思った。
フィラデルフィア管弦楽団のドキュメント映画「オーケストラの向こう側」を観た。楽団メンバーのさまざまな人生模様が描き出されていて面白かったが、なかでもコンマスのDavid Kim氏の話が良かった。国際コンクール入賞で一時は注目されたKim氏がだんだんソリストとしての仕事が減りオーケストラ入団を決心するまでのこと、そしていまは音楽的な充実感に包まれていること。それらが淡々と語られていた。
演奏家がソリストとして成功するのは必ずしも音楽的実力のためではないのは常識であるが、一部の音楽大学では「ソリスト=勝ち組」のようなムードを作っており、あれは非常に良くない。マーケットは多くのソリストを必要としていないことを直視すべきだ。それほどの才能ではない子どもに間違った夢を持たせ親からレッスン料を巻き上げる先生たちは詐欺師と変わらない。では学校はどうか。卒業後のケアをしてあげられるのか。音楽業界はどうか。若くて見た目が良い時だけ利用しているんじゃないか。
私が「勝ち組になろう」などという浅薄なコピーを書いてギャラを稼いだ十数年後、「俺は負け組だ」と思った男が7人もの命を奪った。そのうち一人は芸大を出て音楽ビジネスを目指す女性で、聞けば倅の後輩だった。もしかすると彼女は将来私とどこかで一緒に仕事する人なのかも知れなかったのに。合掌。