3年後の地上波アナログ放送の停止をこれからもっとアピールしていくらしいが、テレビを真剣に見ている人は少ないので3年後には意外と混乱は起きないだろう。視聴率の測定器械はテレビを見ない家庭にはつけないので、視聴者全体のパイはどんどん小さくなっていることがテレビ局側には掴みづらい。いやたとえ掴んでいても知らぬ振りをするしかないわけだが。売れたテレビの台数のうち何割を視聴者数と見なすかで商売は全然変わってくるわけだ。
ダビング10は施行されることになったが私的録音録画補償金制度の問題は膠着状態が続いている。前にも書いた通り私は著作権者側だがこれらの規制や制度に反対だ。クリエーターを保護するどころか逆に活動を制限するものでしかない。地上波のアナログからデジタルへの転換は周波数の効率的な利用という当初の目的のためだけに行われるべきで、そこに新たなコピー制限を入れれば利用者が離れることは明らかだ。そして利用者の離れたところにクリエーターの活躍の場はないのだ。
様々な産業分野においてその構造が変化しているこの時代において、テレビ局やレコード会社だけが例外であろうはずもなく、古い利権を守ろうと足掻いても無理な話だ。CDが売れないのは私の会社にとっても大問題だが、それはこの時代に対応した新しい知恵を持っていない私が悪いだけなのだ。素直にiTunesに参加すれば良いのだろうが、曲間のタイミングが指定できないので二の足を踏んでいる。パッケージメディアが消滅するとは考えにくく、いっそのこと輸入盤のバーゲンぐらいの価格にすればいいのかとも思ったが、それではまったく採算に乗らないので無理だ。では今採算に乗っているのかといえばそうではないのだが。アナログのレコードの時代のように音楽を聴かなくなったこの風潮に闘うのは容易ではない。見映えだけのへたくそな歌手を連れてきてタイアップとプロモーションの力で強引に稼ぐような下品さも残念ながら私は持ちあわせていないので状況をさらに悪くしている。
3年後、私はテレビを買い換えないかもしれない。テレビだけが楽しみな親たちには買い与えるだろうけれども。これはきっと私だけじゃないはずだ。ダビングの制限以上に番組内容のレベルの低さに多くの人々は飽き飽きしている。テレビ局の中にいるといかにも巨大産業的な雰囲気で活気が溢れているので気がつきにくいのだが、テレビ局は自分たちが考えている以上に危機的な状況にあることを知らなければならない。
10年程前アメリカの経済学者でITアナリストのジョージ・ギルダーにインターネットに関する長いインタビューをしたことがある。彼を有名にした本のタイトルが「テレビが消える日」だ。その内容は必ずしもいまの状況を予言したものではないが、テレビが消える日がこんなに早くやってくるとは、本当に驚きだ。