最近コンサートホールでの客同士の喧嘩が増えているのだということをあるオーケトラの関係者からよく聞く。「あなたの咳払いが五月蠅かった」とか「拍手が早すぎて演奏が台無しになった」といった理由らしい。そんなことは以前にはなかったものだが、オーケストラコンサートでは必ずといっていいほど起こるのだという。
これは「のだめブーム」の影響(あるいは副作用)のひとつなのだが、そのことについてはいつか改めて書くことにする。
それに似たようなことが私のオーケストラの演奏会でもあった。
音楽監督ゲルハルト・ボッセ先生が88歳になられた記念としてジャパンアカデミーフィルハーモニックの定期演奏会を先日(2月25日・紀尾井ホール)開いたのだが、第一オーボエにアクシデントが起きた。ゲネプロまでは何事もなかったのだが、本番直前の舞台袖で楽器に異変が起こり、中音域のC音が出なくなってしまったのだ。恐らく管内部に亀裂が入ったようで、その場で手の施しようがまったくなかった。
実は私はその場におらず、反対側のステージ扉にいて事態を把握していなかった。ご家族に不幸があった主要スタッフが一人欠けたという不運も重なった。ステージマネージャーが舞台袖でオーボエのトラブルをボッセに伝えたが、マエストロは「構わない」と言ってステージに出、そして音楽が始まった。その直後に私は状況を知らされた。
案の定「ジュピター」でのオーボエの旋律は何度も途切れた。CDのための録音を行っていた私は卒倒しそうになったが、仕方がない。演奏が始まってしまった以上舞台袖からは為す術もない。
しかし指揮者ボッセは演奏を止めることもなかったし、終演後もオーボエに関してはひとことも言わなかった。ただ「モーツァルトの演奏は本当に難しいね」と私に呟くだけだった。
そして後半のベートーヴェンではオーボエの1番と2番の楽器を交換し(2番奏者にとっては迷惑な話!)、なんとか乗り切ることができた。
すると休憩中に一人の客がスタッフに文句を言っているのだという。「そらきた」と思い、あとで私が直接お会いすることにした。
終演後にロビーで会った彼はお怒りである。「このオーケストラはアマオケか」「なぜあのような状態のオーボエを吹かせたのか」「ボッセの88歳を祝おうと思ってきたのにボッセに失礼だ」という主旨のことを大声で何度も繰り返した。至極もっともである。私は、本番直前のことで対応ができなかったことと、マエストロ自身が納得して演奏が行われたことを説明し謝罪した。しかし彼はまったく納得せず、帰った。助成金もスポンサーもなしに赤字覚悟で2,500円のチケットとしたのに、これで客を1人(お連れの方も含めれば2人)減らしたわけである。
正直、少し凹んだ。後半のベートーヴェンが圧巻だったので、なおさら前半のトラブルがもったいなかった。そしてもっとたくさんの方からクレームをいただいても仕方がないことだとも思った。私がもう1本オーボエを用意しておけば済むことだったわけだから(もちろんそんなことは普通しないが)、言うなれば主催者側のリスク管理がなってないことになる。
すると数日後、知人から1通のメールをもらった。彼女はご主人の仕事の関係で、ポーランドとイギリスなどに住んでいた人だ。
以下、そのメールの一部を転載させていただく。日本のクラシック音楽環境の成熟を祈りつつ。
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25日のコンサート、すばらしかったです。
ゲルハルト・ボッセさん、神様みたいでした。
ベートーヴェンが終わって、ボッセさんとオーケストラの若いメンバーの方たちが心を通わせていらっしゃる姿を目にした時、恥ずかしながら涙が出てきました。
昔、高齢のカール・ベームが最後に来日した時(高校生の頃で、テレビで見るしかなかったのですが、世間は大騒ぎだった気が。。。)も、晩年のチェリビダッケも、座って指揮をしていたと記憶していますが、ボッセさんお立ちになったままで指揮をなさっていたのも印象的でした。
指揮者とオーボエがよく見えるのソロリサイタル以外は二階の右側に座ることが多いのですが、そこに座っていたのでたまたま私たちは気づいたのですが、後から事情をお聞きして息子と胸が痛くなりました。
聴く側の立場から言えば、数少ない経験からでおこがましいのですが、、、、
おそらくイギリスだと観客たちは(ドイツなどの他のヨーロッパはわかりませんが、おそらく以前住んだことのある他のヨーロッパの国でも)きっと、そのハプニングを受け入れ、それをおそらく演奏者と一緒にハラハラしながらも応援しつつ見守り、終わった時は精一杯その逆境にも拘わらず演奏し終えた奏者達に精一杯拍手を送ると思います。
またその場に居合わせたことを楽しんでしまうんじゃないかなと思います。(私たちもそういう気持ちでした。)
それこそ、ボッセさんがチラシに書かれていたことにも通じるのではないのかと勝手に思っております。
音楽大学の優秀な学生集団とはいえ、まだ若い人たちです。若い人たちは経験(特に日本は)がどうしても足りません。そしてその経験の場を作ることはとても大切なことです。演奏会に足を運ぶというささやかな行為で、その場に微力ながら参加させていただくことは喜びだと私は感じています。
そこで、すばらしい演奏に出会えたのですから私は満足しました。そして、ボッセさんの指揮のお姿を見るだけでも身震いがする感動でした。
昔住んでいた、ポーランドの聴衆にもイギリスの聴衆にもおそらく、日本にはない『私たちが若い演奏家を育てていくんだ』という気概のようなものがあったように思えます。
イギリスだと「オーボエどうしたの?」「あっそう。それは大変だ。最近天気がこれだから、楽器も機嫌が悪くなるよね。」ぐらいの会話は交わされるかもしれませんが、(おそらく指揮者が失礼だと思っていらっしゃらないのに)「指揮者に失礼だ。責任者を出せ。」ということにはならないだろうね。と息子と話しながら、帰途についたのでした。